2009-09-23
一匹の栗鼠が、夢中になって木の実を埋めていると上から大きな声が轟いた。
「誰に断った?」
栗鼠はびくっとし、顔を上げた。相手があまりに大きすぎて栗鼠にはそれが何者なのか、最初はわからなかった。それは栗鼠の上に黒々と覆いかぶさり、いい天気のはずの秋空をすっかり隠してしまっていた。
「誰に断った?」
それは同じことをもう一度言った。長く続く雷鳴のような声。低くゴロゴロと響き、大きすぎて割れて聞こえ、あたりの空気をビリビリ震わせる。栗鼠は全身が麻痺して動かなくなってしまったのはその声のせいだと思った。実際にはそれは恐怖のせいだった。あまりにも大きく圧倒的な存在を前にして恐怖で凍りついていたのだ。
世界が回転し始めたのかと思ったら、その大きな者が動き始めたのだった。たくさんの樹々だと思ったものは、それの胴体の模様だった。何本も黒々とした縦線が走っているのでまるで少し離れた場所の林の樹々のように見えたのだ。あたりのふかふかした土を踏みしめ、表面の枯れ葉を少しだけかさかさ言わせるだけで、その巨大な者は驚くほど静かに歩を進めた。栗鼠はびくっ、びくっと痙攣するようなしぐさで身体の向きを変え、相手の動きを追おうとした。
突然本当に雷が落ちた。と思ったら、それが吠えたのだった。知らぬ間に栗鼠は倒れていた。あまりの声の大きさに吹っ飛んだらしい。少しだけ小便をもらしてしまった。栗鼠はふらふらと立ち上がりはしたものの、走って逃げることはおろか一歩踏み出すことさえできなかった。何が何だかわけが分からないまま泣きそうになっていた。おしまいだ。もうおしまいだ。自分でもどういう意味で言っているのかわからないままそう呟いていた。大きな塊がみるみる迫ってきて栗鼠の身体に触れた。食われる。
「怖いのか」
栗鼠は自分が尋ねられているのだと言うことに気づかなかった。なぜなら自分はもう食べられてしまったはずだと思っていたからだ。食べられてしまった者に「怖いのか」と訊ねるやつはいない。けれど次の言葉を聞いて、どうやらまだ食べられたわけではなさそうだということがわかった。
「小便をもらしたな」そう言うと大きな者はぐわらぐわらと割れんばかりの声で大笑いした。そして図体の割に妙にしなやかな動きでその場から遠ざかり始めた。離れた場所から見て、初めて栗鼠はそれが虎だったことを知った。虎は振り向くとまた尋ねた。「そんなに怖いか」
「はい」
「何だって?」
「はい!」
栗鼠は精一杯大きな声で返事した。
「ふん!」
虎が鼻を鳴らすと突風が吹いて栗鼠はまたずっこけた。虎はそんな栗鼠の様子を大して面白くもなさそうに見ながら、その場に腰を下ろし、さらにたたんだ両前脚の上に上体をおさめた。すぐに食べられることはなさそうだとわかり、初めて栗鼠は少し心を落ち着けて虎を眺めることができた。虎はずいぶん年老いていて、毛並みもところどころ薄くなり、もうすっかり艶を失っていた。
「ここはおれの森だ」
静かな調子で虎が言ったが、それでもどろどろと空気や地面を震わせるには十分だった。
「はい」
「だがもうおれの森ではない」
「はい……はい?」
「何をしていた?」
「はい。あっ。わたし、でありますか?」
なんだか変な言い回しになっていることに、栗鼠は自分でも気がついた。
「そうだ」
「栗を、団栗を、埋めておりました」
「どこに」
「えっ?」
「どこに埋めていた」
栗鼠はまわりをきょろきょろ見回して、途方に暮れた。どこに埋めたのか忘れてしまったからだ。たいへんだ、と栗鼠は思った。嘘をついたと思われてしまう。埋めてもいない木の実を埋めていたふりをしたと思われてしまう。栗鼠は焦ってきょろきょろきょろきょろ見回した。虎は肩でふうふう息をしながらそんな栗鼠の様子を眺めていたが、やがて言った。
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