2009-08-22
部屋を片付けてさっぱりしたら、景気のいい声が近づいて来た。しばらく耳を澄ませていたが、声はそのまま通り過ぎていってしまった。声がすっかり遠ざかるとと後はしんとしてもう何も聞こえてこない。おれはそのまましばらくじっとしていたが、もう誰も来ないようなので窓のそばに寄ってそっと外の様子をうかがった。家の前にも森の中にも人の気配はなかった。おれはほっと息をついて窓辺に置いた椅子に腰をおろした。
目の前の低いテーブルには、さっき片付けの最中に見つけたお茶の葉がのっている。イワノフがくれたお茶だ。遊びに行くといつもイワノフはこのお茶を入れてくれた。故郷で飲んでいた飲み物に似ているのだと奴は言っていたが、おれにはこのあたりの村人が飲むものとどう違うのかよくわからない。おれの国ではお茶を飲む習慣などなかったからだ。でも奴の小屋に通ううちイワノフのいれたお茶には慣れた。おいしいと思うようになった。
思えばずいぶんまめな男だった。お茶を入れ、料理をつくり、山の中で拾って来た木の実を使って菓子を焼いたりもしていた。おしゃべりな男で、料理一つひとつについて、故郷の思い出話を聞かせてくれる。これは自分の方が女房より上手に作れる。こっちのパイはもっといい肉があれば良かったんだが。女房の作る菓子は絶品で、子どもたちはおおはしゃぎだった。遠い目をして子どもの話を始めるととまらなかった。
そして二言目には言ったものだ。みんなと仲良くしたいんだ、ゲオルク。食べ物は基本だろう? おいしいものを一緒に食べれば人と人は仲良くなれる。そんなものかな、とおれは思ったが、事実おれがうまいお茶やうまい料理を目当てにイワノフのところに通っていたのだから、当たっているのかもしれない。そう思った。
イワノフは村人に宛てて手紙をしたため、招待状を送り、小屋をきれいに掃除して、料理やらお茶やらおみやげやらを用意した。あの臆病な原住民どもが来るもんかとおれは言ったが、何人かの村人がやってきた。森の中の道を案内状の通りにたどって来て、イワノフの小屋の前に現れた。小屋の前に置かれたテーブルには、土産の包みと菓子ののった皿があり、これをつまんでお待ちくださいと書いてあった。村人たちは恐る恐るそれを手に取り、ひとりが口に運んだ。それを見てイワノフは満面の笑みを浮かべて小屋から出てきたんだ。
結果はさんざんだった。村人たちはイワノフが近づくと恐怖で逃げ惑い、持ち帰った土産も結局食べられることはなかった。イワノフの作った食べ物を投げ捨て踏みにじり、イワノフが乾かないように丁寧に包んだお茶の葉を燃え盛る火の中に投げ込んだ。おれはその全てを見てしまった。イワノフもたぶん見ていたと思う。おれは腹が立った。煮えくり返るくらい腹が立ったので、原住民の村を襲撃してやろうかと思った。あいつらはイワノフのことを赤い悪魔と呼んでいたのだ。
ところが翌日おれが小屋をたずねるとイワノフは気の弱そうな微笑みを浮かべて、何がいけなかったんだろうね?とおれに尋ねた。正直おれは、こいつ阿呆かと思った。でも考え直した。おれは一人でも生きて行ける。たまにイワノフと会っているだけでも十分だ。でもこいつはもっとたくさんの人間とつきあっていないとやっていけないんだ。料理が上手で、おしゃべりが大好きで、なにより人間が大好きだったんだ。
おれは提案した。おれが村に行って暴れるから、おまえはおれをぶん殴って追い払え。あいつらはお前のことを赤い悪魔、おれのことを青い悪魔と呼んでいる。青い悪魔は悪者で、赤い悪魔は村人の味方だと思わせればいい。なに、おれはあんなやつらと仲良くする気なんかこれっぽっちもないから安心しろ。
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