◇ 杖
2009-07-16


上手に使えるようになると、もう、ただの棒ではなくなった。

 最初はただのまっすぐな堅い木の棒に過ぎなかった。わたしはそれを身を支える道具として使った。右脚の膝から下が失われてしまったので、足の代わりが必要だったのだ。そのうち、腕や胸の力がついて来て、また、左脚一本でバランスを取るコツがつかめて来て、自分でも予想しないほど上手に歩けるようになって来た。そうなると、まっすぐな木の棒はもっといろいろな目的に使えるようになってきた。

 高い木の実を落とす。川の深さを測る。いきなり水に呑み込まれないように川底を探る。時には浮かべてつかまることもある。急斜面の上り下りでは欠かせない。穴を掘るときにも役に立つ。一度などは船をこぐ真似事もしたことがある。船なんてものはないのだが、木を組んでいかだのようなものをつくり、川下りをしたのだ。男たちに襲われ犯されそうになった時には護身の役に立った。片足の女だと思って見くびっていたのか、瞬間的に2人の脳天を叩き割った膂力を見て、男たちはすぐに逃げ出した。何度も同じような目に合って、わたしも戦い方を身につけたのだ。

 この杖とともにわたしは、かつて東京と呼ばれたこの都市を歩き回った。完全に塩水にやられた地域を除けば、いまは完全に緑に覆われてしまった森のあちこちに、いまでもくっきりと当時の「記憶」を残す遺跡がある。わたしはそれらのものに触れ、はるか千年も二千年も昔の人々の記憶を追体験する。夥しい住居があったのに、道端で暮らした人々がいる。神話かつくり話ではないかと思えるほど豪奢を究めた暮らしをする人々がいる。「記憶」に触れるとわたしはまるで彼らがまだ目の前にいるかのように感じ取ることができる。

 いまわたしは「東京」の中心に暮らしている。ここは都市が滅亡するよりも前から森になっていた場所だ。二千年の昔、河口付近の高台に江戸と名乗る豪族の屋敷が築かれ、やがて台地の上の城が築かれ、台地のふもとを流れる川は堀へと形を変えていく。城そのものが一個の都市だと言ってもいいような想像を絶する巨大な建築がつくられ江戸城と呼ばれた。けれどもその城主一族は城を明け渡し、西の方から帝王がやって来て今度は皇居と呼ばれることになった。帝王が力を失ったあとも、その一族はここにとどまり、崇拝と非難を一身に引き受ける極めて不可思議な生活を長く営むことになる。

 それはわたしが東京のあちこちで「記憶」を通じて触れて来た生活とはまったく異なるものだった。外の人間の多くは、その暮らしぶりの過剰さを除けば、わたしにも理解できることが多かった。彼らは何かを欲しがり、何かを手に入れ、何かを諦め、喜んだり悲しんだりしていた。でもここ皇居の人間は何かを欲しいと思ってもそれを素直に表現することは許されず、何かを手に入れるにはさまざまな手続きが必要だった。諦める自由すらなかった。喜怒哀楽を表現することもあまり望ましくないとされていた。広々とした緑豊かな土地と、広大な建築に住みながら、彼らは監禁された囚人も同然だった。

 わたしは知っている。ここの住人たちにとって「皇居から見える東京タワー」という言葉が一種のジョークになっていたことを。それはつまり、響きはいいが内容のない言葉を意味していた。誰かが「夏休みの計画でも立てようか」と皮肉たっぷりに言う。なぜなら彼らには「夏休み」という猛烈に暑い時期に仕事を休む期間の計画を立てる権利などないからだ。家族の他の誰かの機嫌が良ければ「皇居から見える東京タワーは抜群の景色だからね」などと応じる。そして彼らの中の一人が窓の外を見る。かつて東京タワーが見えた方角を見る。


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