◇ 森
2009-07-14


こっそり部屋に持ち込もう。小さな森を持ち込もう。
 どちらが先に言い出したのか、それが二人の合い言葉になった。彼が小さな鉢植えを持ち込み、彼女が、それ、こっそりのつもり?とダメ出しをする。そういう彼女も木製のテーブルを購入し、それを見た彼は、おいおい堂々とし過ぎだろうとたしなめる。だって仕方がないでしょう? テーブルなしで暮らすわけにいかないんだから。

 それもそうだ、ということになり、大物は早めに揃えてしまうことにする。アカマツのクローゼットを買い、ナラ材の仕事机と椅子を入れ、ヒノキの丸太椅子を据え、ベランダにプランターを並べたり、木製のガーデニングテーブル&チェアのセットを置いたりするのは、あえて二人で「堂々と」行い、それから再び「こっそり」持ち込むことにする。

 彼が買った木曽サワラのコップは、バレバレ!と一蹴され、彼女がかなり自信を持って持ち込んだ四万十ヒノキのまな板は、テーブルの上にうっかり取扱説明書を置いていたばかりにすぐに露見してしまった。いずれ生まれてくる子どものためにと称して彼が見つけて来た積み木のセットは、十種類もの木を使ったぬくもりのある素敵なもので、子ども好きな彼女をいたく感動させはしたけれど、やはりバレバレであることに変わりはなかった。ニレを使った印鑑ケースは数日ひっそりと目立たずにいたが、それも請求書に判を押すために彼が引き出しをあけるまでのことだった。

 拾って来た流木をタオル掛けに使ったのは彼女だった。これは最初なかなか気づかれなかった。なにしろ流木を拾ったのは海岸である。森からやって来た、というよりも、海からやって来たイメージがあったため、彼はなかなか気づかなかったのだ。ある朝彼が、洗面所で歯を磨きながら、今度はどこに何を持ち込もうかと物色している時に、偶然タオル掛けに目をとめ、はじめて、それが森からやってきたものだということに気がついた。

 やられた!と叫んで笑い話にすれば良かったのだが、この日たまたま彼は虫の居所が悪かった。このところ、職場のサディスティックな上司から、ねちねちと嫌味を言われ続け、いつもならしないようなミスを連発してしまい、職場での立場も悪くなりつつあった。会社になんか行きたくないとまで思っていた。買い物にでも行って、彼女が絶対に気づかないような森を持ち込もうと思っていた。そんなタイミングでタオル掛けに気づいたのだ。

 ずるいな、というのが彼の感想だった。これはひっかけ問題じゃないか。森というよりは海のものじゃないか。これでこっそり持ち込めたと思って勝ち誇っているのか。そっちがそういうやり方をするなら、こっちだってやりたいようにやるさ。

 ふだんの彼はこんな意地の悪い考え方をする男ではない。でも、この時は違った。男は黙って歯を磨き終え、タオル掛けに気づいたことに触れもせず、むっつりとスーツを着て、テーブルに用意された弁当の包みを黙ってカバンに納め、会社に出かけた。その日彼はキーホルダーを変えた。モリゾーとキッコロのついたキーホルダーだ。けれど彼はそれをカバンから出さなかった。

 翌日はシステムノートの中身をすべて国産パルプ紙使用のものに取り替えた。まだ8月なのに! そしてもちろんそのノートもカバンにしまったままだった。こっそり持ち込んでいるぞ。ほら、気づかないだろう。彼女がタオル掛けに気づいて欲しそうにしているのを見るたび、彼は目をそらし、今度は何を家に持ち込もうかと策を練った。ねえ、と彼女が言う。何、ぶっきらぼうに彼は答える。どうしたの? どうしたの、って何が。おかしいよ、最近。そうか? 何かあったの、会社で……。関係ない! 自分でも意外なほど大きな声で彼は否定する。だって……。彼女が怯えているのを見て、可哀想に思いながらもなぜか素直になることができない。だから、ついきつい口のきき方になる。だって、何? 彼女は黙ってしまう。彼ももう何も言うことがないのに気づく。


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