【お題99】みずみずしい
2008-04-21


そもそもあのプレゼンは落ちるためにやったプレゼンだった。あの時おれたちは、もう、この仕事を辞めようと思っていたんだ。だから思いきり手を抜いてめちゃくちゃなネーミングをたった1案だけ持っていった。ロゴもデザイン以前のものをつくり、ごく普通の書体で「水」の肩に二乗の「2」をつけて、ビタミンCの「C」で〈水2C〉というだけの色気も何もないものだった。落ちるためのプレゼンだったのだ。柏社長だって最初は「すいつーしー?」なんて読んだ。それでよかったんだ。読めやしないということで落っことしてくれればよかったんだ。「みずみずしい」というのがその読み方だったんだが。

「〈水2C〉のプレゼンの話で」
「全部聞きました。辞めるおつもりだったんですね」
「はあ」聞かれたんなら仕方がない。「あの時は。でも採用していただいたおかげで、あんな大ヒット商品にかかわらせていただいて……」
 そう。採用されたのも驚きだったが、大ヒット商品になってしまったのはもっと驚きだった。確かに機能もよかったし味もよかったが、ヒットするほどの個性はなかった。ましてや「みずみずしい」というネーミングで大ヒットするとは全く予想していなかった。あれ以来おれの肩書きは「みずみずしい感性のコピーライター」とか何とか、もう顔から火が出そうなことになっている。才能もセンスも枯れきったからこそやめようと思ってプレゼンしたのに、みずみずしい、だなんて。

「わたしも驚きでしたよ」キマイラドリンクの社長が言う。「『輝く笑顔に〈水2C〉』『一口飲んだら〈水2C〉』『乾期が来ても〈水2C〉』……。どのキャンペーンも大当たりでした。あなたのおかげです。」
「いやいや。製品がいいんですよ」
「しかし今日はそういう褒め殺し大会をしにきたわけではありません」来た。来たぞ。やっぱりクレームだ。クレームなんだ。「わたしもね、同じなんです」
「え?」クレームではないらしい。「同じ、とは?」
「〈水2C〉を採用した時にはね、こけるつもりだったんです」
「へ?」
「もう会社をやめるつもりだったんです。同じなんですよ」

 呆気にとられてあいづちをうちそこなった。キマイラドリンクの社長は特に気にもせず、淡々と続けた。
「それでね。ひとつお願いがあるんです」
「はい」口封じだろうか。ああいうことをべらべらしゃべるなとか。「何でしょう」
「次の新製品なんですがね」
「は、はい」
「やっぱり終わりにしたいんです」
「はい?」
「だからあなたも狙わないでいただきたい。〈水2C〉の線も狙わず、ヒット商品も狙わず、落ちそうなネーミングも狙わず」
「むずかしいですね」
「むずかしいです。けれど会社をやめる覚悟を持って、通りそうもないネーミングをたったひとつ持ってきてください。ひどければ採用します」
「本気ですか」
「本気です。もうこれでやめます」

 少し間があって、おれたちは同時に笑った。みずみずしい。うん。おれはともかく、この親父はみずみずしい感覚を持っているよ。

(「みずみずしい」ordered by オネエ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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