2008-02-03
「残り火」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。
作品の最後に
(「残り火」inspired by futo-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。
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◇ ゾウガメの飼育
そのゾウガメはかれこれ100年以上生きている。
若い飼育員は世話をしてやりながらも、どこかでゾウガメの方が自分よりも存在感があることを薄々感じている。格の違いを感じるのだ。たたずまいに。目つきに。落ち着き払ったその風格に。そう、風格、と若い飼育員は思ったものだった。すべての飼育員がそう感じるわけではない。鈍感な(と若い飼育員は思うのだが)中年の飼育員は、ゾウガメのことを特にどうとも思わないようだ。ただエサを与えて、時々甲羅をみがいてやる、大きくてのろまな生き物としか思っていない。
自分は違う。と若い飼育員は考える。自分はこのゾウガメの持つ偉大さを感じることができる、と。その風格をくっきり感じ取ることができる、と。
朝、世話をするため小屋に入ると、小屋の片隅でじっとしていたゾウガメはゆっくりと首をもたげ、静かな落ち着いた目で若者を見る。何者にも乱されることのない目つき。何もかも見通したような洞察に満ちた視線。場数を踏んでいるからだろうか、と若者は思う。100年分のいろいろな場面をたくさん見て知っているから、細かいことにいちいち動じなくなっているのだろうか。年の功ってやつだな。そこまで考えて若者は胸の内で笑ってしまう。亀の甲だし年の功ってわけだ。
ゾウガメがまったく食事をしなくなったのは秋の終わり頃だった。ある朝、若い飼育員がエサ箱の中が前日のままなのに気づいて早速獣医に連絡した。獣医はすぐに駆けつけてきたものの、ゾウガメを隅から隅までチェックして、特にどこか病気というわけではなさそうだ、と言った。老衰だろう、と。念のために採血もして帰っていったがやはり後日届いた結果も「異常なし」だった。そう知って若者はできるだけ世話をしてやろうと決意する。残り火が燃えている限り、おれが空気を送り火をおこしてやろう。
食べなくなってからもゾウガメは特に変わった様子もなく、いつものように首をもたげ、静かな目で若者を見て、時に数メートル移動した。見ていると太陽の光がさすときは日なたを選んで甲羅干しをしているようだった。何も食べなくなってから半月たっても見たところゾウガメには何の変化もないように思われた。さすがに若い飼育員は奇妙に感じ始めた。特に弱るわけでもない。動きも変わらないし、見たところ目もしっかりしているし、肌の様子も変わらない。甲羅のつやも変わらない。
どうなっているんだろう? 誰かが夜にエサを与えているのかも知れない。そう思いついて、その晩、当直だった若者は、夜間の小屋に入ることにした。ゾウガメが若者に話しかけたのはその夜のことだった。
若い飼育員は巡回の時間まで当直室でお気に入りの本を眺めていた。それは世界のいろいろな風景の写真に、その国の言葉で風の名前を記した本だった。心地よい微風、間断なく吹き体温を奪う風、すべてを乾燥させ野火を起こす熱波、作物をダメにする邪悪な風、世界にはいろいろな風が吹き、それぞれが名前を持っている。かつて若者は、そのすべての風を訪ね歩くのが夢だった。いまではもうそれが雲をつかむような夢のような話だということがよくわかっている。だからお気に入りの本で写真を眺めるに留めている。
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